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Donation Project義捐金プロジェクト

Report of rescue organization被災地宮城へ向った救援団の報告01

活動報告
2011年03月25日

みなさんこんにちは、営業部の野間です。

今回、東北地方における太平洋沖地震で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

私は地元が仙台で、今回の地震の日から両親と妹が連絡がつかなくなり、社長のご配慮で、即仙台に行かせていただきました。

地震の翌日12日の夜に発ち仙台入りし、何とか父と妹の無事は確認できましたが、母親だけ見つからない状況のまま、一旦16日に帰京しました。
会社の仲間も母のことを心配してくれたのはもちろんですが、被災した人達に『会社として何が出来るのか』と、社員全員が一丸となって、今回の義捐金プロジェクトが発足しました。

困っている人達にわずかでも力になろうと、食料や物資を車二台に積めるだけ積んで、22日の夜に私を含む社員四人で再出発しました。社員全員の思いを一身に背負って…。

長い道のりを経てようやく仙台入りしました。
地震直後は信号も点いておらず、交通渋滞の中、道のあちこちが陥没している状況でしたが、今回は信号も復旧しており、ガソリンが全く流通していないため車の交通量も少なく、片道16時間かかりましたが、一回目より少しは危険も少なく現地入り出来ました。

最初に向かった先は、父の所です。
父は仙台市内で料理屋を営んでおり、今回の震災で食べ物を失った近所の人達に、限られた食材を使い振舞っていると聞き、まず父の所へ肉や魚などの生ものを届けました。
温かい食べ物を食べてもらおうと、父は地震の数日後から店を再開しており、父を頼って来る人達の助けになればと、生活用品も届けました。
すぐに父は周りの困っている人達に連絡をとり、待機してると次々と連絡を受けた人達が集まって来、次々と物資を分けていきました。
父をはじめ、近所の皆さんはそれは大変喜んでいただけました。京都から足を運んだ、そのことに感動して泣いている方もいました。本当に言葉で表すのが難しいくらい喜んでくれていました。
その喜んでくれている姿を見て私も胸が熱くなりました。
困っている人達を助けて喜んでもらえる…こんなに素晴らしいことはありません。

今まで日本は本当に豊かな国で、食べる物が無くなるなんて誰が想像したでしょう。
決して今回のことは他人事ではありません。震災を境にすべてを失った方々も、前日まではこんな恐ろしい出来事を誰が想像したでしょう。
食料…物…家…本当に大切です。改めて今、住む所があり、着る物があり、口に出来る物があることに感謝しております。

父の所に食料を届けたあと、妹夫婦などに届けました。

あの震災から10日が経ちましたが、まだまだ被災者には物資が行き届いておりません。
スーパーも日によって開きだしているようですが、ものすごい行列です。
やっとの思いでスーパーに入れても、その時には食料もあまりなく、ほとんどの方達はまだまだ欲しい物が口に出来ない現実…胸が痛い…私は今何が出来るだろうか…。

その日は、父が泊まっていくように言ってくれましたが、泊まってしまうと食料を消費してしまうので断り、仙台で唯一空いていたネットカフェに泊まりました。

翌日、津波の被害の大きかった地域へ向いました。若林区の荒浜という地域で、私の実家から数キロの所です。警察の人に許可をもらい、立ち入り禁止区域に入りました。

その光景は想像を絶するもので、とても街だったとは思えません。地元なので昔の風景は覚えているのですが、その光景を見た瞬間、声も出ませんでした。絶句するとは正にこのことで、本当に言葉も出ません…。
他の社員三名も、車の中で無言のまま…これが悲しい現実…。

跡形もなくなった自分の家らしき前で、茫然と立ちすくむ方…がれきをのけながら誰かを探している方…。
とても、当事者でなければ声もかけることもできない…。
そんな、緊迫した悲しい空間です。

しかし、少しでも地元の人達の助けになりたい。社員全員の思いを背負って来ている以上、何かをしなければ…。
我に返り、あわてて避難所に向かいました。

向かった先は、私の母校の中学校です。現在140名の方々がいます。すべて津波に家を奪われ、命だけ助かった方ばかりです。目の前で家族を失った方もいらっしゃいます。

私たちには想像も出来ない程の深い悲しみを背負い、それでも尚懸命に生活しておられました。本当に夢であってほしい。みんなそう思ったに違いありません。

社長の想いや会社の仲間の気持ちを説明し、物資を京都から持ってきた旨を伝えると、とても感動しておられ、そのような方がいるというのが心の支えになると言って頂き、私も本当に来てよかったと思いました。物資の搬入や、食事の用意等、自衛隊の方と共に四人で出来る限りの手伝いをしました。

そこで私は一人の青年に出会いました。彼は元気にボランティア活動をしていました。
私はたずねました。
「被災者の方ですか?」
彼は「そうです」と答えてくれました。
彼も被災者なのです。
それなのに明るく元気にボランティア活動に参加されていました。
彼の家族は無事のようで本当に良かったのですが、彼の家は流されたそうです。
しかも彼は家の中にいて、津波によって家は流されていき、彼は自分の家の屋根に登り助かったとの事でした。
流されながら街が消滅していく光景を見ていた、その時の彼はどんな想いだったのでしょう。とても想像できません。
そんな彼が明るく元気にボランティア活動されています。

もし、私が彼と同じ立場なら同じ事が出来るだろうか?
彼を見て考えさせられる事が数多くあり、私の心に残りました。

そして2日間の活動を終え、私たちは京都への帰路に発ちました。

今私達は、一人ひとり何が出来るのかを考え、少しずつでも行動しています。
節電・節水・募金活動…出来る事を日本中の人達が助け合って行っています。
何が出来るのかはもちろん、被災者の方々が今、何を望んでいるのかを考えて、全国の人達が協力し合い、助け合うことで東北地方の一日も早い復興を願うばかりです。

最後に私事ですが、最終日に母親が無事に見つかりました。
再会した時は、本当に命の大切さや家族の大切さ、そして普段何不自由なく生活しているありがたさを感じ、涙が止まりませんでした。

そして、母親を必ず見つけるという強い気持ちを持つことができたのも、社長を始め会社の皆さんの協力があってこそのこと、それがとても心の支えになり、最後まで諦めずにやり遂げられたと思います。
心配して頂いた数多くの方々に、この場をお借りして心から感謝致します。